Web had be...
2003年9月20日、yomoyomo in Tokyo Reloadedの後に作成した文章です。 本稿は2003年9月の雑感から起こしました。
早くも一週間になるyomoyomo in Tokyo Reloadedの思い出話。
実は以前から気になっていた点。
私はWeb構築といわれると、とりあえずWalWikiで済ませてしまおうとするところがある。 実は会社の支社組合Webサイトはその典型で、更新者は組合の中心メンバー10名程度、閲覧者は組合員全員となるのだけど、ようやくWikiというのが何か認知されてきた感じで、軌道に乗りつつある。 で、yomoyomo in Tokyo Reloadedのメンバーの中で、特にyomoyomoさん、山形さん、たださんのWebサイト運営には興味があった。
yomoyomo in Tokyo Reloadedではそんな話もちょっとずつ聞かせてもらったし、そこで考えることもあったので、まとめておこうと思う。
山形さんのサイト「YAMAGATA Hiroo Official Japanese Page」は明らかに不定形で、もちろんこうしたツール類を使われていないのは想像していた。 でも、私が最初に見たWikiというのは、何を隠そう山形さんのサイトで紹介されていたBerlinProjectのものなんだ。 同じように、yomoyomoさんのサイト「YAMDAS Project」もツールを使ってはいなそうだった。 ご存知の通り、WikiWayの訳者であり、ウェブログ・ハンドブックの刊行を11月に控えている同氏、もちろんWebツールに明るいのは確かだ。 しかし、そうは言いながらも、YAMDAS Projectなどは特に非常に体裁が整えられ、統一され、もしかしてテキストだかTeXだか何だかからのコンバータでも使っていないかな、と思うところもあり。
...では本当に、両氏はHTMLを手書きしており、Webツールを使っていないのかと聞いてみると、やはり使っていないのだった。 もちろんyomoyomo氏がはてなダイアリーでYAMDAS現更新履歴なる日記を付けられているなどを除けば、だけれど。
山形さんやyomoyomoさんの仕事は(そう、「仕事」と呼べる一連のページ群は)とてもよく練り上げられていて、構成が考えられ推敲が重ねられていて、本が一度出版したらずっと残っていくように、これらのページもずっと残されていくことを前提にしたものだ。 そこには明確なスタイルがあって手書きでもこなせるぐらいにはHTMLは定型化されており、一方でその効果を見計らってここぞという場面ではツールではかけないような的確で不定形のHTMLが作成されている。 こうして作られた両氏のサイトのページは「コンテンツ」と呼ばれるにふさわしい質のもので、蓄積されるべき「ストック」としての情報だ。
たださんのサイト運営について興味を持っていたというのは、もう少し別の角度からの話だ。 つまり、サイトでどんなツールを使っているかといえばtDiaryに決まっていて、興味があったのは「たださんはどういう経緯でtDiary開発にたどり着いたのだろう」ということだった。
実はこれには、一つの予想があった。 きっとたださんは、tDiaryがはじめて使用する日記システムだったろう、ということだ。 tDiaryは実に誰にとっても嫌味も外連味もない、それでいて実は機能的には充実し熟成されているシステムだと思う。 それは、たださんが日記をつけるのをちょっと効率的にしようと思って、必要なものだけを作っていったらtDiaryのベースになったのではないかなということだ。 きっと多くの日記システムを使ってきて、その不満を盛り込んでいったのだとしたら、あんなに分かりやすいシステムは生まれなかったんじゃないかな、と思う。 当然聞いたことは、これが始めての日記システムでしたか、ということで、答えはYesだった。
たださんのサイトは日記であり、日々の記録であり、ある程度の質は確保されていないと読む気にはならないけど、そこから先は1件1件の質よりもむしろ量と即時性がものを言う。 例えば「今晩の町田はとても静かな夜で、コオロギや鈴虫たちのなく声に囲まれているようでした」というのは、まず書物に残されることじゃないけど、日々の一コマとしてニュースや新聞の社会面か地方版に載るのは悪くない。 こうした情報はストックではなく「フロー」としての情報だ。 レイアウトは定型化されたもので構わないし、表現力はツールが許す範囲であきらめても良い。 それよりもツールのおかげで1件情報を流すための労力も時間も減って、それで量と即時性が良くなるならそれで良いんだ。
初期のWebはストック情報ばかりだったけど、コンピュータの個人への浸透と連動するように(本当に連動しているかどうかは知らないよ?)ニュースサイトや日記サイトなどが生み出すフロー情報が質も重要性も増してきて、今ではWeb上の情報はストック、フローともにとても充実していると思う。
さて、では我らがWikiは、というと、きっとこれは情報未満を扱うスタイルなんじゃないかな。
例えば、Digit:Perlモジュール/HTTP::Liteというページがあるけど、僕が最初にこれを作った時はHTTP::Liteのドキュメントを和訳しているページだった。 次にそのドキュメントをpeldoc.jpに移して、シノプシスの使用例だけにし。その後HEADコマンドやmirrorダウンロードの実行方法を実装する都度、Proxyの利用方法などを調べる都度このページに追記したり修正を加えたりしてきた。 つまり、このページはストック情報として完成していないんだ。 でも、時間とともに流れていくフロー情報でもなくて、結局のところストック情報の書きかけであるか、それともストック情報として他者を意識して仕上げるわけではないメモのようなものだ。
「コラボレーションツールWiki」というWikiWayの副題が良くそれをあらわしていると思うけど、こうした書きかけ段階をうまく扱ってくれるのがWikiなんじゃないかな。 Webの役割自体も、情報公開の場であるだけではなく、情報や成果を生み出す作業の場としての役割も担うようになってきたということじゃないかと思う。
今回はWikiWayというWebツール関連の書籍の訳者を迎える集いで、Webツールやその文化に明るい人が多い。 でもだからみんな流行の、例えば今であればBlogを使うのかというと、そうではなく山形さんやyomoyomoのようにHTMLを手書きする人がいて、たださんのように日記/Blog系のツールを使う人がいて、私のようにWiki系のツールを使う人がいる、ということだ。 これってちょっと強引に解釈すれば、僕たちがやっているWebサイトいずれもテキスト中心だけど、それぞれ別の性格のものだってことじゃないかな。 それぞれにタイプの違う僕らのサイトを並べてみると、情報の幅を横軸に、成果の発表だけではなくそれを生み出す過程も含めた時間/段階の流れを縦軸に、面的に充実した今のWebの一面を切り取っていたように思う。
最後になったけど、忘れないうちに一つだけ補足しておこう。 実を言ってしまえば、たださんにとってのtDiaryがファーストシステムではないかと思ったのは、自分の事情を投影していたのだ。 僕はWalWikiがはじめてのWikiで、Wikiの性格は分かってきたけど、Wikiシステムについてどんな議論や付加機能が考えられているかは知らなくて、結果としてはYukiWikiらしくかつ私のサイト運営に必要な機能を付け加えた、ある意味で癖のないものになったの思う。 たださんもそうかな、と思ったわけだけど、tDiaryの開発には僕が思っていたより、ずっと明確なイメージはあったみたいだ。 なんといっても面白かったのはリファラなどの話が出た時のことで、「日記って個人がクローズな感じでつけるものですけど、tDiaryでは逆に、もうコメントでもリファラでも何でもとてもオープンなものに」しようと思っていたそうだ。
やっぱり実際に作った人とあって、話してみるというのは面白い。 うまく何かを引っ張り出せるかというのは聞く人の腕か運が必要(今回は運だったな、正直)だけど、まず「位置について」までは行かないとそれもできないんだ。 こうした機会があったことには、本当にとても感謝している。